秋のひ

 

帰り道。背の丈ほどのコスモスたちが鮮やかに咲いている。首が長く、大きな花弁が風に吹かれている。野原はすっかり秋の装いをし始めており、夜の空気もすっかり秋の匂いだなぁなんて昨夜話していたところだった。

今の気温は30℃。今日はすっかり夏返りしていて、道端に視線をやりながら「早起きになっちゃったじゃない、まだ夏だって教えてよ。こんなに暑いなんて」とコスモスが怒り出してしまいやしないかとハラハラした。ぐったりとバテていなければいいなと思った。

周りの景色がぜんぶ低くて、空が広く薄ら青い。それがひたすら続いている。心地が良い景色は穏やかで、けれど日差しだけは刺すようにギラギラとしていて、あぁ季節の終わりにまた日焼けしたなぁなんて思う。もう焼けないつもりだったのに、きっと焼けちゃったな、とついさっきつぶやいていた顔を思い出した。

うだるような暑さ。という日本語があるが、逆じゃないかとふと思う。暑いからうだるんじゃないか。考えながらアクセルを踏む。いや、ちがうか。途中で気づいたことだが、うだるというのはゆだると一緒だ。というか漢字を見ればわかる。茹だると書いて、同じ表記。なるほど、茹で上がるほど暑いということか、確かに暑いからといって茹で上がることはそうそうないかもしれない。茹だるような暑さという日本語の正しさを再確認しながらウィンカーを上げた。ひらがなでうだると書くと、その形から確かに暑さにやられてしまっている様子が伺えて、そりゃ訛るよな、と思うんだけどその変化は訛りなのか定かではない。

 

そんな時はいつでも暑かったんだ

まるで溶けそうなトローントローンの天気だったよ

 

タイミングを狙ったかのような歌詞が流れてきてちょっと笑った。

さっき聞いていた曲、冬を歌っていたのに曲調は夏っぽかったなとか違う曲を思い返したり。

 

噴水を日陰から見ていた。光の透け方と漂う青い葉が綺麗だと思って写真を撮った。あとから見返したところ綺麗なのか綺麗じゃないのかよくわからなくて、そんな私を予想したわけはないと思うんだけど多分タイルの色のせいだよって事前に教えてくれたところが優しかった。

靴を脱いで噴水を囲うアスファルトの上に立つ。熱い、熱い、足の裏火傷する、なんて慌てて隅の方へ行き、木陰で胡座をかく様子を眺める。白い靴下は汚すためにある、足元を見てから構わず私もそれに続いた。ひんやりと冷たいアスファルトは日向のそれとまるで対照的で、影が青く光る。水がぶつかる構造の噴水の先で跳ねる飛沫のことをずっと見ていられそうだった。一本吸って、また一本吸って、あっという間に時間が過ぎる。昼休みが終わる。現実社会に戻るため靴を履いた。

 

これからは付き合い悪くなりますから、と何度か私に断った上で、それでも最後には、また、と言ってくれたのが嬉しかった。明日はないんでっていつも言う頭の中に私と会うつもりがあることがわかってこそばゆい気持ちがした。

 

その噴水へ辿り着くまでの濃紺のこもれび通り。チラチラと光が通り過ぎる横顔が息を呑むほど美しくいつまでもこの道が続いてほしいなんて小さく願った。窓を全開にして、風を受けるビニール袋が踊っていて、それぞれ違う方を見ながらおんなじ歌を何度も流して歌う。平日とはまるで思えない長閑さが確かに存在してたことにこの先きっと励まされるんだろうな。もう少しで目的地だよって着かなければよかったのにな。下手くそなナビに従って迷子になりたかった。そのまま一緒に峠を越えたりしたかった。

 

そんなことを仕事終わりの一服をしながら思い返す。夜になっても夏で、あれ? 昨日の秋の音色はどこへ消えた。あの虫たちはひっそり息を殺しているのか。それとも暑さでやられちまったか。

 

あーやられそうだよ

なんだかやられそうだよ

もう溶けそうだよ

 

空を見上げると少しだけ星が見えて、夜はきっと曇るよね? って昼間の会話に裏切られている。どうせ見えるなら昨日とかおとといとか、もっと他にあったじゃん。そんな文句がつい口をついて出そうになる。でもおととい夜空が曇ってたおかげで星たちに気を取られなくて、生きたまま無事に着いたのかもしれない。

 

一服を終え家に戻ろうと立ち上がる。振り返るとくっきりとした月がいた。おととい雲の中から見つけた月を、あ、ねぇ、月って私に教えてくれたことを思い出す。私の横顔の向こう側に見つけてこちらを指差し、少しだけどきりとした。キラキラした目とちょっと興奮している口元。あの時は半分だった月が今はもう少し丸いよ。いつだって変わらないそちらの土地からもこの月がくっきり見えているんでしょうか。

 

出会ったばかりの、タクシーの運転手への誠実な態度を今でも思い出したりする。言葉や態度が最近雑になったって自分のことを嘆いていたけど、確かに二ヶ月前とは違うかもしれない。適当なことを言っていることも多いし、言葉遣いから丁寧さや美しさは損なわれているかもしれない。けれど変わらぬ誠実さがあって、だから会っていても心地よいんだろう。なにを話してるってわけでもないし、思い返しても時間ほどの会話は思い出せない。それでもいつも多くの時間を過ごしている。

大事な本を貸してくれる程度には話が通じてほしいと思ってくれているはずだ。

2022.9.7