20241120
今日、まちの飲食店が一つ閉店した。物価高騰に耐えていたんだけどね。今回の米騒動でサ。
そこは頻繁というよりはごくたまに行くところで、私がこのまちに越してきて2年半の間に1万円も使ってない程度の利用頻度だった。市街地の外れに位置するそのお店ではなかなか飲み会をすることもなく、私はもっぱらランチで利用していた。
食べ納めのつもりで昨日、夫婦で行き、私は日替わり定食を、夫は麻婆麺を食べた。そうそう。その飲食店は中華料理屋だったのだ。
日替わり定食は牛肉と五目野菜の牡蠣炒め。甘めの味付けながら塩味も効いていて、透き通る餡を纏った美しい炒め物は家では食べられない味だった。目を瞑るとホテルの中華バイキングを思わせる。というのもマスターはまさにそのホテルで昔シェフをしており、そこで中華を学んだのだという。繊細な味わいというよりはしっかり油と片栗粉を使った見事な中華バイキング味。町中華とは違うホテル中華。日替わりで納豆炒飯だとかが出てきて、私はマスターの創作料理が大好きだった。
我々夫婦は薄味を好むため、家ではなんだか精進料理みたいになる。それらを毎日食べる食事として愛しており、もちろんそんな食事に安心するのだが、たまの外食だからこそ日頃口にしないしっかりした味付けに脳みそをガツンとやられたい。気持ちが良いのだ。大胆なのに、単調な大味ではなく、きっと私には再現できない味。
夫が麻婆麺を啜り始めて5分ほど経った頃、ぼそりとつぶやいた。「なんか思っていた味と違う」その発言はたとえどんな表情や声色だったとしていも、最後の食べ収めの時の一言であるかぎり、がっかり以外の感情がのっていないと推察される。なんていうか。そんな言い方はないだろう。いつも食べるというメニュー。そうそうこれこれという喜びの表情を私は見たかったのだが。
中華ランチ行かない?と誘っても、いやー俺はあの店はあんまりと断っていた夫。でも以前はよくきていたんだよ、ハハハ。そんな会話をまえにした気がする。さしずめ口に合わなくなって足が遠のいていたので、記憶と違う味にがっかりといったところか。こっちはホテル中華に感動しているというのに。急にテーブルの上に並べられたおかずたちが陳腐なものに見えた。繊細な技巧とはまた違った、安定したホテル中華だからこそ感動しているのに。艶やかな光は、脂ギッシュなそれに見えてきて、なんだか興醒めしてしまった。
だからだろうか。いや、単純に昨日メニューを眺めながら散々迷っていたからかもしれない。ここは日替わりがうまいんだよ、と大して来ていたわけでもないのにツウぶって日替わりを選んだからかもしれない。私の心はどうしてもチャーハンが忘れられなかった。私はそのお店のメニューの中では、チャーハンが何より大好きなのだ。ここのチャーハンを食べられるのは今日が最後なのだと思ったら、たまらずにいられなくなって、今日も行きたいと夫にLINEしていた。ちゃーはんがたべたい。忘れられないの。
いいよと言っていくれるのは夫の優しさであり、本当にいいところだと思う。夫は回鍋肉定食を、私はチャーハンを注文。これこれ。私は刻んだナルトが入っているチャーハンが比較的苦手なのだが、ここだけは例外なのだ。夫は笑顔で私にテカテカの回鍋肉を分けてくれる。うん、このテカテカさえも愛おしい。肉はしっかり厚いのにしゃくっと噛み切れる心地よさがあって、甘い味付けとそれを引き立てるニンニクの辛味が最高。わあ、思ったより辛い!
実は私は大人になるまで回鍋肉を食べたことがなかった。実家では出てこなかったし。同期が作ってくれたクックドゥで初めて回鍋肉を食べ、その後中華屋に行っても選ぶことはなかったため、回鍋肉経験値は著しく低いのだが、このお店のそれは今までに食べたことがないくらい美味しかった。初めてなのに、最後だなんて…。
失われるものと残されるもの。なにを失って、なにを残すか。つい1週間前もそんなことを考えていたが、私の今の暮らしにはなにを残したいんだろう。人口減少が進む過疎地域に暮らしていながら、お店も限られたこのまちで。私の手で抱え切れるものは限られているが、抱きしめられるだけ守っていきたいなんて、勝手にも今日失われる店で思った。チャーハンはやっぱり美味しい。食べに来てよかった。
20241112
実家が引っ越すようだ。それは私の結婚式の二次会の最中、親族のみでセッティングした居酒屋で、私が不在のなか、みんなに報告されたようだった。
もともと高齢になったら引っ越すよと言っていたけれど、それは70とかまだずっと先のような気がしていて、さらに両親は還暦を迎えていたが実際はまだ50くらいな気がしていて。自分は歳を重ねたにも関わらず、すっかり心は成長していないまんまで、というか子供のままで居たかったんだろうか、とにかくまだずっと先の出来事だと思っていた。
同級生の間でも似たような話は聞いたことがあった。地元の同級生も、大学の友達も。実家が引っ越しちゃったんだよね。まじ。親の新居、知らない家でさ。えー、なんかさみしいね。それでもそれが自分の身に降りかかる想像はしていなくて、それがどんな状況になるか想像していなかった。
祖父母の遺骨がある地元にあたりまえには帰らなくなること。地元に立ち寄ったとしても、周りに明かりが少なく星空が綺麗に見える閑静な住宅街には帰らないこと。買い物のついでに足を伸ばして、昔遊んだ砂浜なんか歩かないこと。中学校の帰りにこっそり立ち寄った灯台を懐かしむように覗きに行かないこと。実家でソワソワして眠れない夜に天窓を開けて星空を眺めないこと。図書館の司書さんに「お久しぶりですー」て声をかけないこと。そもそも地元の図書館に行かなくなること。坂道、きちーよと言いながら自転車に乗らないこと。私が好きな地元の全てが帰る場所じゃなくなること。時間をかけて行く場所になること。そうなったら最後、きっと行かなくなること。そして、しばらくはそれに抗いたくて意地を張るようにわざわざ足を運ぶこと。
結婚して家を買って、私の帰る家は今暮らしている家になったし、実家に戻っても、そこから今住んでいるまちに着いたとき「帰ってきたなぁ」と思う。同時に親にとって子が帰ってくるのは非日常のイベントで、子がそれぞれのまちに戻って夫婦ふたりだけが暮らしている日常に戻る。それは別にいい。私には私が選んだ暮らしがあるし、親には親の、子がいない暮らしがある。
ただ、親が住まいを移すことと、私の育った実家がなくなることは別の話に思えて、前者は受け入れられけど後者は全然受け入れられなくて泣いている。今まではどうしても同じ話に思えていなかった。
前者?ウンウン、いいじゃん。えっ、もしかして後者もってこと?まじ?といった具合である。
それが結構ショックで、そんなにショックを受けると思っていなかったので、ショックを受けて涙が止まらないことにもまたショックを受けている。居酒屋でその話をされた時、姉弟は誰も泣かなかったんだろうか。私はその場に居なくてよかったと思った。きっとめでたい門出をしみったれた空気にしてしまったんじゃないかと思う。
父から電話で聞いたときは前者にしか思い至っていなくて「駅が近いなら空港からのアクセスも便利になるし、病院も歩いて行けていいね」「高速道路近くなるから、私の家から距離は遠くなるけど、かかる時間は短くなるかも!」なんてやけにポジティブな反応をした。実際、ウキウキで楽しみな父の声を聞いていたら心からそうポジティブに思えた。
翌晩、夫に「だから今度の帰省が最後の実家かも、寂し〜」って何気なく話したら私の何倍も神妙な面持ちで「家族とよく話したらいいよ」と私に言った。「自分は生まれ育った実家がなくなるのが嫌で、地元に戻ってきたから。絶対失いたくなくて実家を残すために帰ってきたんだ。だから、想像するだけで耐え難いよ。きっと思っている以上の喪失だし、失ってからでは手に入らないものもあるから、何を残したいか考えたらいい」なんて続けた。祖母が母に買ったピアノを引き取るかどうかの話、だけではなくなっていた。
夫の父の実家、つまり祖父母の家はすっかり取り壊されて、もう存在していないらしい。わたしの祖父母の家は両親が頑張って綺麗にし現在は別の家庭が入っているが、もうあの玄関のドアを開けることも、ソファに祖父が座って相撲を見ていることも、祖母がマッサージチェアで昼寝していることもないんだと思ったら涙が出た。全然祖父母の死を受け入れられていないけど、生前のもの(ここでは家)が残っているから尚更感じてしまうのかもしれない。人がいなくなったことと、場所や景色が変わってしまうことがうまく結びつかない。
今回の話は、両親が生きているうえでものがなくなる(違う形で残る)のだけど、変化に直面するたび、それを受け入れることの難しさを感じて、まだまだ大人になれない。祖父母の家だって、私の二拠点先にして一人暮らしで悠々自適のリモートオフィスを作りたかった。ダブルワークを始め、結婚をして、到底現実的ではなくなってしまったので祖父の逝去時にはそれを諦めたが、それでも本当はわがままを突き通したかった。強欲といえばそれまでだが、仮に欲張っても私の手では持ちきれないことが明白だった。それがわかる程度には大人になっていて、でも受け入れたくない程度に子どもだ。
私がスマホに向かって文字を打ちながら静かに涙を流していても、なにも言わずに横にいてくれる夫、ありがたすぎる。苗字を変えたくない、と旧姓への喪失を思って泣いたとき以上に、故郷へ帰れるという環境の喪失は辛く苦しく感じる。故郷は変わらずあるけれど、故郷へあたりまえに帰れるという環境はあと三ヶ月ほどしかないのだ。なにを残しなにを失うか。のんびり考えている場合ではないので、じっくり向き合いたい。
20241111
日付に1が四つ並んでいるだけだが、4回1を押すつもりで日付の数字を羅列したら、勢い余って3年前になってしまった。0211111。うん、一が多過ぎる。
そういえばポッキーの日とかプリッツの日とかそんなツイートよりも、投票中に居眠りしている首相とか、微動だにしなくなった元首相とか、そんなものばかり目にした気がする。
原因も特にない中で不調というのはたいてい、寝不足である。
しかもすごい寝不足というわけではなく、多分ちょっとの寝不足。適度な疲労。ウンウン。
他人の新しい情報がたくさんたくさん毎日出てくるが、それよりも自分のことに集中しよう。
好きな作家の記念すべき商業本二冊目を読みながら、私はこの人の「何気ない日常に目を止めて、素晴らし過ぎるわけじゃないものにスポットを当てる美しさやその視点」が好きなんだよなぁと思った。この人の文章が大好きなはずなのに、今回の本のテーマ=幸せじゃない話はただの社会への文句に見え、ただでさえ現代社会の殺伐とした空気にやられているのに、物語の中さえギスギスとしていて、普通に落ち込んでしまった。キラキラな表紙の私家版を出してくれよ。嘘か本当かワクワクさせてくれよ。話毎に主人公が変わっているはずなのに同じ言い回しが繰り返し使われているのも、意図的なリフレインなのかもしれないが、ただ書き分けのできない文章がへたくそなようにしか見えず、意図が伝わらない自分の感性が鈍いのか、作者に対する期待値を高めすぎたが故の現実なのか、あんなに好きな文章はどこへいっちまったんだと幻想を打ち砕かれたような気持ちになる。こんなふうにあなたの悪口を言いたいわけじゃないのに。もう少しで2年になるが、会えそうで会えなかったそしてこの先も会えないであろう著者。元々近いわけではなかったが、なおさら遠くへ行ってしまった著者。むしろ同じ世界線に存在していたくない。紙を通して出会えるからこそよかったのかもしれない。それとも本人だけで作るセンスが好きだったんだろうか。装画やデザインや編集が関わっていない純粋なあなたが。ファンが増えていくたび、私家版が増刷されるたび、そうでしょうと嬉しくも誇らしくもなったが、そんな自分でさえ恥ずかしい。どの面をして。どの立場で。惨めな気持ちになって特典小冊子を読んだ。そうそう。私はあなたが自分の話をしているのが一番好きだ。
先日、友達から手紙書いていい?と連絡が来た。すごく久しぶり。私は彼女に結婚したことを内緒にしていて、それは彼女がそれを望んでいるからだが、ちゃんと隠し通せているだろうかと心配になる。私に対するネトストは特にしていないはずだし、別に見られても私としては一向に構わないけど、彼女がそれで嫌な思いをするなら、嫌だな。手紙が届くのは楽しみだけれど、彼女が私にどんな言葉を贈ってくれるだろうか。
20241021
『こだわり野菜100% ごく甘にんじんブレンド』というジュースに「国産すりおろしにんじん使用」と書いてあり、「お、いいな」と手に取ったとき、原材料が100%にんじんで100%国産を使用したジュースなのだと私は完全に思い込んでいた。
お会計を済ませ職場へ着いて、さて朝ごはん。成分表示をよく見ると、原料はにんじんのみではなく、トマトやカボチャも入っているという。
「えっ」
パッケージを見返すと、にんじんと一緒に踊る他の野菜たちが描かれている。
「あら、あら、まぁ」
さらには「国産すりおろしにんじん使用」の横に米印が書いてあるのを発見してしまった。米印をたどると、「原料にんじんのうち4%を使用」と注釈があり、(いやいや、それって全体で見ると4%にも満たないじゃないの!)とがっくり肩を落としたのであった。朝から何だか叫び出したい気分である。
100%国産で200円切ってるなんて、頑張って商品作ったんだな〜とうっすら感動さえしたのに、完全に思い違いだったのだ。感動を返してほしい。
とはいえ、日頃から伊藤園の『1日分の野菜』にお世話になっている身で今更そんなことを気にしているというのもちゃんちゃらおかしい話である。伊藤園はウェブ上に産地情報を丁寧に全て掲載してあり、それらのほとんどが海外産である。商品に「産地情報はこちら」とQRコードがついているのだが、以前、ウキウキとそれを読み込んだ私は愕然とした。見る前の(トマトは熊本県産かな? レタスや葉物の類は関東とか? 産地まで載せるなんて拘ってるんだなぁ。自信満々な姿勢、素敵だよ)という私の心の声はあっさり逝去。並ぶカタカタに衝撃のあまり言葉を発することもできず、スマートフォンを閉じてから「いや、そりゃそうだよね。安すぎるもん」と声に出した。葉物の類は産地が日本のものも多かったが、それに対してもつい日本のどこかくらいは書かんかいと思ってしまった。
そんな出来事があってもなお1日分の野菜を常飲している私が『こだわり野菜100% ごく甘にんじんブレンド』に対して言えることはもはやないのである。つい、先日飲んだ国産オーガニックで作られた人参ジュースのことを思い出してしまう。あぁ、あれはなんと美味しかったことか。あまりの美味しさに、飲みながら値段が気になり調べたところ、1Lのビンが2500円。どひゃーっとなってそっとページを閉じた。アルバイトの女性が定期購入しているというものを分けてくれたのだが、毎月1万円弱かかっているということである。50代の財力……としみじみビンを見つめてしまった。ビンのぶ厚さからして高そうであるし、ビンに詰められているという時点でそもそも高そうである。分けてくれてありがとう、合掌。
その後、ついついamazonで野菜ジュースを購入するかみてしまったけど、やっぱり産地を気にしてしまって(普段はつい買っちゃうのに……今は買う気になれない)なんて落ち込む。ならばやはり美味しかった人参ジュースを探そうかと思い「国産 オーガニック 人参ジュース」で検索するが、値段を見てやっぱり躊躇してしまう。あなたもいい大人なのよ、多少高くたって買ってもいいじゃないの。うーん、まぁ今回はいいか。結局またコンビニで、amazonよりは50円高い『1日分の野菜』を買ってしまうんだろう。きっと、今後とも末長いお付き合いをどうぞよろしくお願いします。
ニュースダイエットならぬゆるSNS断ちをしている。SNSでだらだらタイムラインを眺めちゃう時間を読書か日記に充てようという試みである。2分に一回くらい、すっかり忘れてTwitter(旧X)を開いてしまう。開いた瞬間に気づいて「ピピー!SNSです!危険!閉じるよ!ヨシ!」と指差し確認のもと消しているのだが、すぐに忘れてまた開いてしまう。これはとんでもないぞ。私ったらどれほどの時間を電力をSNSに捧げてきたことか。すっかり忘れてタイムラインをスクロールしてしまう時も5分以内には気付けているので、やっている意味はあるのだと思う。うっすら傷つき、確実に落ち込むことが増えているので、ちょっとの間だけ距離を置きたいのだ。心を守りたいのだ。
急に寒くなったからか、自律神経が乱れているのか、ホルモンバランスの周期の問題なのか、複数原因はありそうだが、最近の情緒の狂いは異常だ。怒ったと思ったら、すぐに涙を流したくなる。忙しいからなおのこと頭の中は悩み事や考え事で満ちていて、もっとボケーっと過ごしたいのになと思わなくもない。寒いけれどストーブを焚くと空気は乾燥するので、悩みどころである。そんな小さなことでいちいち悩んでいる余裕なんてないのにね。
20241020
連作「しずかなくらし」
しずしずと大事なものが増えていきどうでもいいも同時に増える
生活がシュクシュク音をたてながら振り返るときすこしさみしい
その椅子を追いやられたと抗議する いつかの記憶 だれかの匂い
正面に夕日を浴びて煌めいた波と混ざって消えゆくあなた
はっとする散りばめられた濃い気配 焚く線香はわたしの祈り
#tanka
20230125
75歳のパワフルなダチがいる。今もバリバリ働いていていつも忙しく過ごしており、夜22時の仕事終わりに遊びに行っても平気で仕事をしていたりする。
ねぇ、たくさん食べるものあるんだけど、少し減らしに来てくれない。
なんて連絡をもらう時は比較的二人とも穏やかな時期で、どちらも多忙を極めていると簡単に会わないまま1ヶ月が過ぎてしまう。
今年になってから一度顔を出しに行こうとしたが、急用でタイミングを逃し、今日まで会い損ねていた。
「ご無沙汰しています。もう仕事終わりました?」
「こっちはまだ事務所にいるけど、あんた今どこにいんの」
「今職場から帰ろうかというところ。会いに行ってもいいですか?」
「久しぶりだね、もちろん」
「やったー、会いたかった」
なんて恋人かのような会話を交わす相思相愛のダチだ。
お邪魔します、こんばんは、と言いながら勝手に玄関から入る。
「今年もよろしくお願いします」
とお互い言い合い、すかさず彼女がIHをつける。
「今美味しいのできてるんだって。食べてかない?」
ツヤツヤのこし餡が砂糖と共に加熱されていた。言いながら彼女は混ぜる腕を休めない。
「あとね、角煮作ってるの。今は下茹でが終わったところ。先に表面を焼いていてね、ほら、油がふっくりぷるぷるなんだから」
酒と水で一度炊くと、酒から出汁がじんわり広がって美味しくなるんだそう。
「ねぇ、今日なにで来たの。車?置いてきた?」
家が近く天気がいい日はたまに歩いてくるのでそんな確認が入ったが、今日は職場から直行しており生憎車だった。
「今日は車」
「なぁんだ! そっかい、喉乾いたと思わない? ビール飲もうよ」
嬉しそうにいたずらな笑みを浮かべた彼女の魅力的な誘いにゴクリと唾を飲む。思わず同意したくなる。頻繁にお茶をする仲だが、実は二人きりで飲んだことはない。忙しい彼女が飲酒することは少なく、滅多にない誘いだった
「…もし飲むなら、車置きに一回帰ろうかな」
「いいじゃん、すぐ行って戻ってきなよ」
「お風呂も入っていい?」
「もちろん、いつでも!」
「ていうかもう一回来るの面倒だから、いっそそこのソファで寝ていこうかな。いいですか?」
「いいよ。じゃあ飲もうか」
とんとん拍子でお泊まり会が始まった。少しの黒ラベルと、出来立ての餡子に焼いたスティック餅をつけ、角煮は粗塩を添え、あっという間に宴会の体制が整った。
「そうだ、りんごも一緒に食べたいんだった」
どれにしようかなと銘柄を悩む声が冷蔵室から聞こえた。ウキウキしているのが目に見えてわかる。
「もう今月も終わっちゃうよ。あっという間だよ」
「会わないまま25日過ぎちゃいましたもんね」
「ほんとよ、お互い忙しくって仕方ないよね」
一緒に食べるから美味しいね、楽しいね、やっぱり会えると嬉しいね、そんな会話を交わし小さな宴会のあとは順番にお風呂へ入った。
彼女は大のお風呂好きで「短い人生楽しまなくちゃと思って湯沸かし器買ったのよ」と自宅風呂を温泉にしてしまう機械を30万近くかけて買っていた。バリキャリで稼ぎがしっかりしている人はお金の使い方が大胆だ。
「今度設置工事するから楽しみにしててね。いつでもお風呂入りにきてね」
以来、誘われて何度かお風呂を借りに行っている。24時間風呂協議会という存在を知ったのもその時だ。そんないかれた名前の真面目な組織があるんだと思うとおかしくて笑える。
実際湯船は気持ちよく、体が断然ほぐれる。こんなお風呂に毎日朝晩入っていたらいつまでも元気で居られるだろうなと思う。
急なお泊まり会が嬉しくて、思わず記録しておきたくなった。
『35歳からの反抗期入門』(碇雪恵著)を読んで、日々を書き続けるのもいいなんて感じたのだ。とても面白くてひと息に読んでしまったのでおすすめです。