連作「しずかなくらし」

しずしずと大事なものが増えていきどうでもいいも同時に増える
生活がシュクシュク音をたてながら振り返るときすこしさみしい
その椅子を追いやられたと抗議する いつかの記憶 だれかの匂い
正面に夕日を浴びて煌めいた波と混ざって消えゆくあなた
はっとする散りばめられた濃い気配 焚く線香はわたしの祈り

#tanka 

20230125

75歳のパワフルなダチがいる。今もバリバリ働いていていつも忙しく過ごしており、夜22時の仕事終わりに遊びに行っても平気で仕事をしていたりする。


ねぇ、たくさん食べるものあるんだけど、少し減らしに来てくれない。

なんて連絡をもらう時は比較的二人とも穏やかな時期で、どちらも多忙を極めていると簡単に会わないまま1ヶ月が過ぎてしまう。

今年になってから一度顔を出しに行こうとしたが、急用でタイミングを逃し、今日まで会い損ねていた。


「ご無沙汰しています。もう仕事終わりました?」

「こっちはまだ事務所にいるけど、あんた今どこにいんの」

「今職場から帰ろうかというところ。会いに行ってもいいですか?」

「久しぶりだね、もちろん」

「やったー、会いたかった」

なんて恋人かのような会話を交わす相思相愛のダチだ。


お邪魔します、こんばんは、と言いながら勝手に玄関から入る。

「今年もよろしくお願いします」

とお互い言い合い、すかさず彼女がIHをつける。

「今美味しいのできてるんだって。食べてかない?」

ツヤツヤのこし餡が砂糖と共に加熱されていた。言いながら彼女は混ぜる腕を休めない。

「あとね、角煮作ってるの。今は下茹でが終わったところ。先に表面を焼いていてね、ほら、油がふっくりぷるぷるなんだから」

酒と水で一度炊くと、酒から出汁がじんわり広がって美味しくなるんだそう。


「ねぇ、今日なにで来たの。車?置いてきた?」

家が近く天気がいい日はたまに歩いてくるのでそんな確認が入ったが、今日は職場から直行しており生憎車だった。

「今日は車」

「なぁんだ! そっかい、喉乾いたと思わない? ビール飲もうよ」

嬉しそうにいたずらな笑みを浮かべた彼女の魅力的な誘いにゴクリと唾を飲む。思わず同意したくなる。頻繁にお茶をする仲だが、実は二人きりで飲んだことはない。忙しい彼女が飲酒することは少なく、滅多にない誘いだった

「…もし飲むなら、車置きに一回帰ろうかな」

「いいじゃん、すぐ行って戻ってきなよ」

「お風呂も入っていい?」

「もちろん、いつでも!」

「ていうかもう一回来るの面倒だから、いっそそこのソファで寝ていこうかな。いいですか?」

「いいよ。じゃあ飲もうか」

とんとん拍子でお泊まり会が始まった。少しの黒ラベルと、出来立ての餡子に焼いたスティック餅をつけ、角煮は粗塩を添え、あっという間に宴会の体制が整った。

「そうだ、りんごも一緒に食べたいんだった」

どれにしようかなと銘柄を悩む声が冷蔵室から聞こえた。ウキウキしているのが目に見えてわかる。

「もう今月も終わっちゃうよ。あっという間だよ」

「会わないまま25日過ぎちゃいましたもんね」

「ほんとよ、お互い忙しくって仕方ないよね」

一緒に食べるから美味しいね、楽しいね、やっぱり会えると嬉しいね、そんな会話を交わし小さな宴会のあとは順番にお風呂へ入った。


彼女は大のお風呂好きで「短い人生楽しまなくちゃと思って湯沸かし器買ったのよ」と自宅風呂を温泉にしてしまう機械を30万近くかけて買っていた。バリキャリで稼ぎがしっかりしている人はお金の使い方が大胆だ。

「今度設置工事するから楽しみにしててね。いつでもお風呂入りにきてね」

以来、誘われて何度かお風呂を借りに行っている。24時間風呂協議会という存在を知ったのもその時だ。そんないかれた名前の真面目な組織があるんだと思うとおかしくて笑える。

実際湯船は気持ちよく、体が断然ほぐれる。こんなお風呂に毎日朝晩入っていたらいつまでも元気で居られるだろうなと思う。


急なお泊まり会が嬉しくて、思わず記録しておきたくなった。

『35歳からの反抗期入門』(碇雪恵著)を読んで、日々を書き続けるのもいいなんて感じたのだ。とても面白くてひと息に読んでしまったのでおすすめです。

冬の始まり


 朝、海沿いの道を運転していた。いつもは茶色く濁っているはずの海水はうすあお色をしており、心地よく晴れた日だった。晴れといっても太陽がギラついているわけではなく、あくまでもどこまでも穏やかに水平線が続いていた。空と海の境だけが濃くはっきりとした青で、フリーハンドの万年筆がブルーグリーンのインクで線を一本引いたようだった。それはとても美しかった。線を引かれ隔たれた同色の空と海を不思議な気持ちで眺める眺める。霞とも違う。白で薄めたのとも違う。透明感のあるうすあおは見たことのない色をしていて、うっかり心を奪われそうになった。

 早朝から運転なんて鹿に遭遇しそうで嫌だなぁなんて思っていてがそれは杞憂に終わった。出勤時間がのんびりなため思ったほど早い朝ではなかったのだ。世間の人はとっくに働き出している時間だ。鹿がいないどころか、こんなに心地よいドライブを朝からできるなんて、よかった。得した気持ちで安堵しながらアクセルを踏んだ。人生の終わりに見るならこんな景色がいいな。エピローグのように穏やかな海と空だけがひたすら見えなくなるまで続いている。水は驚くほど澄んでいた。対向車線を走る運転手もしばしば海に視線を奪われているようで、別の危険を時たま感じた。

 しばらく車を走らせると道は海から少し離れ、周りはあっという間に山間部になっていた。木漏れ日はギラギラと眩しく、影が濃い。先ほどは感じなかった太陽の鋭さを感じる。どうしてだろうとしばらく考えながら光を浴び、途中で気づいた。太陽の強さが変わったんじゃない。夏場よりも木漏れ日が多いんだ。紅葉したはずの木々はすっかり葉を落とし、枯れ葉が道沿いに堆積していた。色が抜け、水分が抜け、カラカラに乾いた葉っぱたちが冬の訪れを知らせてくれる。見事にはげあがった枯れ木からの木漏れ日があまりに多くて、その道は夏よりも暖かいんじゃないかと感じた。たしか、夏に運転した時は日陰がひんやり気持ちよかった。私たちの陰になっていた葉たちは皆落ち、今は溢れんばかりの光が届く。光陰のコントラストは激しく私を襲い、たまらずサングラスをかけた。もう晩秋は終わりました。これこそが初冬なのだ。小春日和という言葉を思い出した。

 赤ちゃんみたいな冬を迎えたことに気づき私はとても歓んだ。これから厳しくなるんだろうな。どんどん刺すような寒さになるんだろうな。大好きな秋にお別れを告げ、大好きな冬が来る。どこまでも私はめでたく四季を愛でる。不思議と夏を失った時の悲しさはないことに気づいた。晩夏には葬式のことばかり考えていたのに、変なの。秋は短いってわかってるからかしら。すぐ終わるだろうと思いながら大事に愛でた秋は案外長かった。たくさん満喫して、グラデーションを抱きしめたのだった。だんだんと気温が下がるようになり、寒くて澄んだ美味しい空気に変わる。星や月がよく見える。そんな秋から冬への衣替えは夏から秋への移行と違って、あまり唐突な感じがしないのですんなり受け入れられるのかもしれない。夏が終わると悲しいのは、あの気温が夏にしかないものだから? 夏という固有種。昔は夏が嫌いだった。

 今はだいぶ夏が好きになったと思う。冬は気圧が下がり体調は最悪だし苦手だ。でもやっぱりダントツで好きなのは冬。

 夏は快適にできる事柄が多い季節だが、冬はその時期にしかできない限定的なことが多いように思うのだ。そちらの方がより特別ではありませんか。キャンプだって花火だって、夏にもちろんやりたいけれど冬だってできる。しかし、スケート、スキー、氷点下での散歩などは冬しかできない。そんな発想になるのは夏にしかできないであろう海水浴をする文化がない生活圏で育ったためかもしれない。夏限定は夏以外でも手に入るが、冬限定のものは冬にしかできないのだ。日本酒の生酒だって、鍋を突きながらの熱燗だって。こたつに潜って寝落ちしたり電気毛布の誘惑に負けたり。かまくらを作ったり、氷で作られた城や滑り台のある祭りで遊んだり。夏できることは言ってしまえば春にも秋にもできる。でも冬のことは冬にしかできない、オンリーワンの季節なのだ。

 冷え込んだ朝、早起きをしてストーブの前から朝日をぼんやり眺めたい。お湯を沸かしながら豆を挽いて、バターかチーズをたっぷり乗せたパンを焼く。朝が苦手なことも含め、喜んで早起きしたい。

 唯一性に惹かれている冬。生まれた季節だから安心感があるのかもしれない。体調、コンディションともにあれほど安心できない季節はないのにね。ようこそ、冬。

 

不合格通知を笑ってスクショする元気があるなら生きていけるね

コンビニの灯りを目指し歩いてる 走光性はないはずなのに

輪になって手を取り合って踊ること 今のあなたに必要なこと

丁寧にひだが折られた手作りの餃子あなたが表れている

いつだって正しい時計 刻む拍正確なのかわかりかねてる

くるりんとしっかり睫毛カールさせ小首を傾げこれしかできない

地獄で見たもの

 濡れ光る背中。躍動するたびに粒が散った。くらくらするほど照明が眩しい。

「綺麗……」

 汗を美しいと思ったのは初めてだった。むき出しの皮膚の下で筋肉の動きがよくわかる。男の人の裸の背中が同時にたくさん並んでいるのを、こんなに踊って動くのを見るのは初めてだと思った。熱気で視界が霞んでいる気がした。

 観客の熱量に圧倒され呼吸を忘れそうになる。ふと我にかえり慌てて息を吸うと酸素が薄いことがわかった。初めて行くライブハウスは思った以上に狭いハコで演者との距離が近く、最前列で飛び跳ね踊り狂う観客たちは一人また一人とTシャツを脱いだ。

 イベントのタイムスケジュールが押していて目当てのバンドの一つ前の出演者が演奏中だった。今回の対バン相手は誰も知らなくて、応援しているバンドだけ見てサクッと帰ろうと思っていたので、正直面食らった。全然毛色が違う。場違いなところに来てしまったかもしれない。この客層で自分が推しているバンドの番になったらどんな空気になるんだろう。とにかくすごい空間だった。

 無理矢理心臓を揺らされる。低く重い音は私の臓器を殴り続けた。ボーカルがマイクに叫ぶたび、最前列の観客もマイクに顔を寄せ煽った。あぁ、この生感。こんな世界があるらしいことを知ってはいたが私が生きているうちに現場に立ち会うとは思ってもみなかった。鳥肌がブワッと立ち、ゾクゾクと興奮した。

 チラリと横を盗み見る。私が誘った友人はポカンと口を開け真顔でそれを見ていた。……どう思っているんだろうな。正直緊張した。好きなバンドが出るんだよね、ライブパフォーマンスが最高だから一緒に行かない? そう誘った。どんなバンドなの? ポップで平和な感じかなぁ。これでは誘った私がまるで嘘をついたようではないか。引いてなければいいなと願った。

 扉すぐ近く、後ろの方に立っていたが狭いハコなので私たちはなんだかんだ前から数えても四列目くらいの位置にいた。最前列が近い。でも二列先はスクリーンを挟んで見ているかのように感じられ全く別の世界のようだった。その二つの世界が混沌と存在しており「地獄」というイベントのタイトルそのままの世界が小さな一つの部屋に広がっていた。最高。極楽のような地獄、上等じゃないか。食らいついてやろうじゃんという気になる。観客に煽られたボーカルもまた観客を煽っていて、私はしっかり煽られた気になっていた。

 


「いや〜、最高でしたね! こんなハコがあるなんて知らなかった」

「存在は知ってたんですけど入ったのは初めてで、正直面食らいました。でも楽しんでくれたならよかった」

 何分間かもわからぬままあっという間にそのバンドの出番が終わった。手にしていた酒は空になっていて、体のために煙草へ火をつけた。

「一本もらってもいい?」

「もちろん」

 友人に小声で尋ねられ、廊下で並んで煙草を吸った。友人も喜んでいたことがわかりで内心ほっとした。

「……飲みましょう」

「飲みましょう」

 ゆっくり一本吸い終えるとひとまずドリンクブースへ次の酒を取りに向かう。高揚感。流し込みたいだとか消化したいとは違った。高揚感と一緒にありたかった。友人も同じ気持ちのようだった。

 


 ちびちびとお酒に口をつけながら、おずおずと申し出た。

「あの、本命は割と前で見たくて」

「あ。じゃあ早めに入っちゃう方がよさそうだね」

「いいですか」

「もちろん」

 友人は初めてのライブなのに一緒に前についてきてくれた。メンバーは楽器を並べ始めている。推しの前を陣取るの、きもいかな。と思いつつ、遠慮して目の前で見れないのは嫌だった。他の用事もあったとはいえそれなりの交通費をかけてきているのだ。ごめんね、目の前でやりにくいよねと心の中で推しに断り右端最前列に立った。

 先程のバンドでは端や後ろで少し揺れていた人達が今回は積極的に前に出ていた。反対にTシャツを脱いで最前で汗を流し踊っていた人たちは紛れてしまってどこにいるかもわからなかった。客層がきちんと入れ替わり少しホッとした。でも客に煽られながら演奏するところも見てみたい気持ちがあって、少し残念な気がしたのも本当だ。

 


 トリを飾ったのはイベントを企画したバンドだった。

「俺は音楽を諦めること諦めたからみんなも諦めるの諦めよう」

 そんなMCが印象的だった。イベント告知では呼んだバンドをどうして呼んでこの順番にしたかという文章を丁寧に綴っていて誠実な人なんだろうなと思った。その通り実直でいい歌だった。

 ライブもおおよそ終わりが近づいていた時のことだ。

「俺がこいつと組んでいて目標があったんですが、それはこいつに恋人ができることなんだけど。……報告があるんだよな?」

「人生で、初めて彼女ができました!」

 突然の報告に現場はうぉぉぉと湧いた。するとちょうど隣に立つ友人の前、つまり私の斜めに立っていた観客の挙動が不審になりだした。外していたマスクをし、壁際まで逃げ、カメラマンをしている女性にくっつくようにし顔を隠す。カメラマンの女性がよしよしと頭を撫で「よかったね」と小さくつぶやいたのを見てようやくその観客が彼女だとわかった。

 周りの観客は気にも留めていないようで友人と私だけが目を合わせワンシーンを共有した。いやいやと首を振りながらでも嬉しそうに泣くその彼女は本当に綺麗だった。気づいてごめんね、素敵な場面に立ち合わせてくれてありがとう。二人の幸せを心から願った。

 

 

‎ランチブレイクの"ふたりはペア"をApple Musicで

 

秋のひ

 

帰り道。背の丈ほどのコスモスたちが鮮やかに咲いている。首が長く、大きな花弁が風に吹かれている。野原はすっかり秋の装いをし始めており、夜の空気もすっかり秋の匂いだなぁなんて昨夜話していたところだった。

今の気温は30℃。今日はすっかり夏返りしていて、道端に視線をやりながら「早起きになっちゃったじゃない、まだ夏だって教えてよ。こんなに暑いなんて」とコスモスが怒り出してしまいやしないかとハラハラした。ぐったりとバテていなければいいなと思った。

周りの景色がぜんぶ低くて、空が広く薄ら青い。それがひたすら続いている。心地が良い景色は穏やかで、けれど日差しだけは刺すようにギラギラとしていて、あぁ季節の終わりにまた日焼けしたなぁなんて思う。もう焼けないつもりだったのに、きっと焼けちゃったな、とついさっきつぶやいていた顔を思い出した。

うだるような暑さ。という日本語があるが、逆じゃないかとふと思う。暑いからうだるんじゃないか。考えながらアクセルを踏む。いや、ちがうか。途中で気づいたことだが、うだるというのはゆだると一緒だ。というか漢字を見ればわかる。茹だると書いて、同じ表記。なるほど、茹で上がるほど暑いということか、確かに暑いからといって茹で上がることはそうそうないかもしれない。茹だるような暑さという日本語の正しさを再確認しながらウィンカーを上げた。ひらがなでうだると書くと、その形から確かに暑さにやられてしまっている様子が伺えて、そりゃ訛るよな、と思うんだけどその変化は訛りなのか定かではない。

 

そんな時はいつでも暑かったんだ

まるで溶けそうなトローントローンの天気だったよ

 

タイミングを狙ったかのような歌詞が流れてきてちょっと笑った。

さっき聞いていた曲、冬を歌っていたのに曲調は夏っぽかったなとか違う曲を思い返したり。

 

噴水を日陰から見ていた。光の透け方と漂う青い葉が綺麗だと思って写真を撮った。あとから見返したところ綺麗なのか綺麗じゃないのかよくわからなくて、そんな私を予想したわけはないと思うんだけど多分タイルの色のせいだよって事前に教えてくれたところが優しかった。

靴を脱いで噴水を囲うアスファルトの上に立つ。熱い、熱い、足の裏火傷する、なんて慌てて隅の方へ行き、木陰で胡座をかく様子を眺める。白い靴下は汚すためにある、足元を見てから構わず私もそれに続いた。ひんやりと冷たいアスファルトは日向のそれとまるで対照的で、影が青く光る。水がぶつかる構造の噴水の先で跳ねる飛沫のことをずっと見ていられそうだった。一本吸って、また一本吸って、あっという間に時間が過ぎる。昼休みが終わる。現実社会に戻るため靴を履いた。

 

これからは付き合い悪くなりますから、と何度か私に断った上で、それでも最後には、また、と言ってくれたのが嬉しかった。明日はないんでっていつも言う頭の中に私と会うつもりがあることがわかってこそばゆい気持ちがした。

 

その噴水へ辿り着くまでの濃紺のこもれび通り。チラチラと光が通り過ぎる横顔が息を呑むほど美しくいつまでもこの道が続いてほしいなんて小さく願った。窓を全開にして、風を受けるビニール袋が踊っていて、それぞれ違う方を見ながらおんなじ歌を何度も流して歌う。平日とはまるで思えない長閑さが確かに存在してたことにこの先きっと励まされるんだろうな。もう少しで目的地だよって着かなければよかったのにな。下手くそなナビに従って迷子になりたかった。そのまま一緒に峠を越えたりしたかった。

 

そんなことを仕事終わりの一服をしながら思い返す。夜になっても夏で、あれ? 昨日の秋の音色はどこへ消えた。あの虫たちはひっそり息を殺しているのか。それとも暑さでやられちまったか。

 

あーやられそうだよ

なんだかやられそうだよ

もう溶けそうだよ

 

空を見上げると少しだけ星が見えて、夜はきっと曇るよね? って昼間の会話に裏切られている。どうせ見えるなら昨日とかおとといとか、もっと他にあったじゃん。そんな文句がつい口をついて出そうになる。でもおととい夜空が曇ってたおかげで星たちに気を取られなくて、生きたまま無事に着いたのかもしれない。

 

一服を終え家に戻ろうと立ち上がる。振り返るとくっきりとした月がいた。おととい雲の中から見つけた月を、あ、ねぇ、月って私に教えてくれたことを思い出す。私の横顔の向こう側に見つけてこちらを指差し、少しだけどきりとした。キラキラした目とちょっと興奮している口元。あの時は半分だった月が今はもう少し丸いよ。いつだって変わらないそちらの土地からもこの月がくっきり見えているんでしょうか。

 

出会ったばかりの、タクシーの運転手への誠実な態度を今でも思い出したりする。言葉や態度が最近雑になったって自分のことを嘆いていたけど、確かに二ヶ月前とは違うかもしれない。適当なことを言っていることも多いし、言葉遣いから丁寧さや美しさは損なわれているかもしれない。けれど変わらぬ誠実さがあって、だから会っていても心地よいんだろう。なにを話してるってわけでもないし、思い返しても時間ほどの会話は思い出せない。それでもいつも多くの時間を過ごしている。

大事な本を貸してくれる程度には話が通じてほしいと思ってくれているはずだ。

2022.9.7

2021短歌

昨年読んだ短歌をまとめます。

 

うっすらとおいりのような触感に重なりたての雪踏み歩く

 

日々の飯 暮らしの写真 見て見ては赤のあなたを知った気でいる

 

日々白いから新しい積雪に気付けないまま鈍く寝ている

 

本屋さん、お財布がなく焦るも、あ、スマホで払える。変な現代。

 

ネイルから2週間経ち伸びた爪

生きてる証拠すくすく育て

 

会いたいを積もらせたあと雪だるま作って送る 溶かさず抱いて

 

いつも吸う半分だけの七ミリを間違えて買う日曜零時

 

バナナ吊る S字フックにとりあえず仮置く合間に食べきっている

 

起き抜けにコーヒー豆を削るときあなたを想う 朝のルーティン

 

恋人になるのは多分無理だけどたまーに来れば?それならいいよ

 

上の人低気圧だといっそうに強い気持ちと足音響く

 

大丈夫かしらってくらいこわばっている足音で察する気配

 

とりあえず明日になるまで寝たあとで考えよーね甘やかそーね

 

私たち終わりみたいね笑い合い言えるうちならまだ終わりじゃない

 

ふと鼻を掠める夏の異国にてかいだ覚えのドブの懐かし

 

雪が降るとSiriが言ったから持った

乗った地下鉄誰も傘なし

 

ニュートラな気持ちになろう 落ち着いて シフトレバーを握る手に、汗

 

「あとぐされないよ」有言実行はしない 腐って壊死するあたし

 

夏が来て暑くて泣いている 深夜コンビニスイカバーしないとね

 

世界との接続どこか合わない日

ボタン押しても気づかれない日

 

扇風機前での「あー」と遠くからそれを見る「あー」震えの違い

 

熱中症予防にこれを舐めてるの」手のひらにあるお塩キャラメル

 

持ち主に忘れ去られた自転車に蔓延る蔦にそうっと触れる

 

夏雲を見て目を細む幼な子よ

君が希望だそのままでいて

 

コンドーム然と並んだ線香の色とりどりを手にして気づく

 

スタンプを送ると「君に似てるね」とどのスタンプでも返ってきます

 

肺に満つ目覚ます冷えた秋の朝 ひとりの冬のやうやう来なむ

 

ほろほろと煮崩れ角煮つかむ箸遣いに見惚れ吐く息の距離

 

赤よりも紫みたいなわたしの血流れ出るとき赤になるとき

 

もう使う相手がいない余りゴムお裾分けにはお粗末かしら

 

今はもう他人になったひとのこと

夢を見るたび思い出す朝

 

思い出すことはやめますこれからは

あなたの未来思い馳せます

 

重いかつ隙がないこの文章を断ち切る斧が欲しい各々

 

改めて君が好きだし今ここで宣言しとくもうやめるよと

 

タイマーをかける止めるを繰り返し私と時間が同体になる

 

南空 夏締め花火あがれども教えたい人居ぬまに秋季

 

早朝の自転車出勤雪虫が顔に当たりぬマスク入りぬ

 

たぶんきみ思い出したりせんのやろ一緒に食べたグラタンだとか

 

祝福を もっと悲しくなるんだと思ってたけど素直な気持ち

 

肯定に飢えてる君と飢えてる君に飢えてるあたしの話

 

低気圧「撫でて」一言言う君はまるで手負いの厳かな虎

 

生きてたくないこの気持ち抱きしめて生きていたいの明日明後日

 

まとめきれなかったので11月ごろまでですが。

今年もよろしくお願いします。

吉報

 先輩が結婚した。

 

 業務中、届いた書類のチェックをしていると懐かしい名前を見つけた。

ーーあ。もう二年前になるのか。

 はじめ複数人で焼肉に行き、そのあと個別で誘われて一度だけご飯に行った。その日にイルミネーションの下でプレゼントを渡され、お見合い番組さながら手を差し出された。当時本当に嫌で、どう断ったものかととても困った覚えがある。

 へぇ。結婚したんだ。おめでとうございます。素直な気持ちが呟きとなって溢れる。

 すごく結婚したがっていたよなぁ。思い返すと当時も展開が早かった。初めて二人でご飯に行った席でたしか、一緒に暮らして猫を飼いたい話をされた。着物が趣味なんだよね、祖母が着物たくさん持ってるから、着てくれたら祖母もきっと喜ぶよ、などと中々の宇宙語を話していた。

 面倒くさがって返事を先延ばしにしていたら、突然LINEが来た。

「返事、もしもらえるなら早い方がいいかな。OKなら来月の誕生日はディズニーで一緒にお祝いしたいから、早く飛行機を取っちゃいたいんだ。で、いつもらえる?」

これで、はっきりと断る決心がついて次の日には返事をした。とにかく自分の中で勝手に妄想を展開している人だった。

 それほどの行動力があれば、(相手の意向を伺わずに展開を進めることを行動力というのならば、だが)いざする時は早いだろうと思っていた。二年経たずにめでたくゴールインしたわけだ。

 ただいま、今日もおつかれ、そんな会話を愛しい誰かとしている先輩を想像して祈るように合掌をする。どうか先輩が猫を飼えていますように。相手が猫アレルギーでありませんように。

 


 なぜだか1990年前後の人によく好かれる。ありがたいことのように思えるが、出会ってから好くまでの期間が短すぎて、私に幻想を抱いているパターンが多い。大抵は愛想をよくしている穏やかな私を見て好意を抱き、短気で素行の悪い私を知ると幻滅する。全然ありがたくない。

 ちょうど周りが結婚続きで、自身も結婚したいタイミングなんだろう。結婚したいところにぽっと出てきた年下の女の子。30くらいの先輩方は勝手に私に夢中になって、今ではそれぞれ新しい相手を見つけている。よかったですね、次に行けて。どうか幸せになりますように。

 冒頭で挙げた先輩の同期たちの間で結婚ラッシュのようで、最近彼女ができた別の先輩はこのビッグウェーブに乗るしかないと笑っていっていた。今度はずっと穏やかな人なんだと。いい報告待っています。結婚したい人たちは次々と切り替えて結婚のために動くしかないのだ。ちなみに過去の女みたいな物言いは事実に則していないのでやめてほしい。

 最近韓国人の元恋人に新しい恋人ができたようだ。別れてしばらくはFacebookで恨み言のような投稿を定期的にしていたが、最近は惚気一色である。幸せになれてよかったね。1990年生まれの元恋人のチュープリを見るのは正直キツいものがあるが、本人が幸せならよかろう。いつまでも子どもでいたい人だったのをふと思い出した。